スキップとローファー - 氏家くんというキャラクターについて

月初めにスキップとローファーのアニメを全話観たのちに既刊9巻を買って読んでしまった。
スキップとローファーのはじまりはこうだ。

石川県の端の過疎地からT大学を目指すために東京の進学校に通い始めた女子高生の岩倉美津未
東京という大都会に圧倒されて人酔いし、駅の壁に壁に張り付いているところを端正な見た目で優しい同級生の男の子志摩聡介に声をかけられ、入学式の日から遅刻するところを免れる。

学校へ走り出した直後に転倒するなどマヌケな一面を見せる美津未だが、首席合格で新入生の代表であり、挨拶の原稿を忘れたことに気がつくと暗記していたため乗り切るなど優秀なのである。

それぞれこれまで会ったことのないタイプの人に会い、新たな高校生活が楽しみだと中学の友人にそれぞれ高校のことを話す美津未聡介であった……。

と書くと美津未と聡介によるどきどきする恋愛の物語が始まりそうだがそうではない。
そうではないのだ 。

おれの心の中の高校生が平静でいられなくなる

実際はそうでなくもないのだが、決してメインではない。
読者も当事者ではない(掲載誌は青年誌であるアフタヌーンだ)からこそ見えてくる、高校生たちの人間関係がメインである。

あるあるネタとして消費されていない瞬間たち

「こういう瞬間あったわ」という、「あるある」として名前がついていないような瞬間が漫画で描かれる。
「フィクションで描かれる理想的な高校生活」のようにノスタルジーや美化ではない、高校生の現実的で打算混じりの交友関係がそこにあるのだ。
例えば、入学直後でまだグループが固定されていないときにとりあえず全員で机をくっつけて昼食をとる瞬間であったり。
仲良くなろうという名目でクラス一のイケメンである志摩聡介(以下、志摩くん)と男子、彼と仲が一番よい岩倉美津未(以下、美津未ちゃん)を誘ってカラオケに行くような瞬間であったり。

そして、読んでいると次第に20代後半の人格の内側にまだ残っている15歳が受けた古傷がヒリヒリしてくる。
特に氏家くんという人物に。

スキップとローファー7巻〜8巻の展開について言及されます。

氏家くんという人物

今回話題としたい氏家くんという人物が登場するのは美津未ちゃんが高校2年生になってからだ。

高校生活を描く作品にしては珍しく(?)クラスメイトのうち進級後も同じクラスになるのは一人だけで、 学年が変わると登場人物が結構入れ替わる。

氏家くんは美津未ちゃんが自己紹介したあとになにげに隣の席にいるが、エピソードに関わってくるのは2年生行く登山の回だ。

講談社 スキップとローファー7巻 130pより 人当たりのきつい氏家くん

宅八郎(古いな)のような長髪、メガネという見た目。話しかけるとケンカ売ってるのか?というような返答。
彼が現実にいたとして好感を持つ人は少ないだろう。

だがおれは彼から目が離せないし彼が登場する回は特に心が乱される。
こんな人物が登場するのは本当にすごい。

氏家くんは「持っていない」

2年生に入ってからの展開が基本的に美津未ちゃんは「持っている」側の人間なのでは?というエピソードが多い。
上京して1年経ったことで学校で話す友達もいるし、地元に帰れば暖かく迎えてくれる。

対して氏家くんは何もできない。友達もいない。

運動も苦手なのに球技大会でバレーボールに出ると彼は決断する。美津未ちゃんがバレーボールを選択していたからだ。

しかしうまく連携できず、体育の時間にバレーボールのトスが来ても直立不動だ。ミスに対して「すまん」のようなコミュニケーションも取らない。
そんな彼にクラスメイトはイライラする。

昼休みに美津未ちゃんがクラスメイトとバレーボールの練習をしようと体育館に来る。 バスケの練習をしていた志摩くんが一人で練習している氏家くんを見ており、美津未ちゃんと志摩くんが一緒に練習しようと誘うも 氏家くんはあてこすりのような棘がある言い方で断る。

美津未ちゃんが生徒会長選挙に出ると氏家くんも対抗馬として出馬する。 当然人望がない氏家くんは選挙で負け、副会長になる。

棘がある言い方には彼なりのコンプレックスがあるのだ。

氏家くんのコンプレックス

進学校に来た彼は「勉強ができる」「対人関係も得意な」「青春を謳歌している」クラスメイトに出会う。 中学の頃は同じような連中がいても自分のほうが勉強ができた。

でも今は違う。 同じどころか自分より勉強ができる人もいる。 じゃあ私の価値はどうなるんだ?と悩む。

クラス替えで隣になった岩倉美津未は、要領が悪そうで、変な人物で、明らかに「カースト上位の余裕のある人物」ではないように思えた。
だから張り合ってみたが、彼女は明るく、朗らかであり、理解者がいる。

ますますみじめになるばかりだった。

かといって美津未ちゃんがすべてを持っているわけではない

氏家くんが得たかったものを持っているから美津未ちゃんがすべてを持っているわけでもないし、全員となかよしというわけでもない。
美津未ちゃんにも名前で呼ぶ人も、名字+さんで呼ぶ人の区別がある。
逆に一年をかけて親しくなった友達だからこそ打ち明けられないこともある。

このように彼女が完璧に満たされているわけでも、絶対善であるわけでもないという展開が続いていく。

あの漫画やあの漫画について

もちろん語りたい物語の方向が異なるので一概に比べることはできないが、氏家くんについて考えていたときに2つの漫画を思い出した。

陰キャでクラスでも孤立していた中二病の主人公がクラスのマドンナに片想いをする、という漫画がある。
展開を経るごとに友達ができ、クラスの女子グループとも仲がよくなり、片想いしていたヒロインと付き合うことになったことで「あれ?最初に持っていた問題をすべて解決してねえか?」という感想を抱くようになった。

あるいは、刹那的な楽しみはあるがどこか胸の中が空っぽな高校生が美術に出会い、難関美大を目指すという漫画もある。
受験漫画として始まったが、時を経て目標としていた難関美大に合格する。

美大生になったあとに作品制作上の悩みがどんなにあろうと「なんだかんだで現役合格(難関美大に浪人せずに入れるのはとてもすごいことである)なこいつってエリートじゃねえの?」となったりする。

要は最初に「何も持ってない状態」だった主人公が「なんだかんだ色々持っている」状態になることで、物語が始まったときに主人公が持つ問題とされていることが読む側にとって深刻な問題に見えないのだ。

前者の漫画は最初は語られていなかったヒロインの心情に注目しつつ二人の関係性を物語ることで、後者については一旦主人公については置いておいて美術で生きていくとは?を美術によって死んでしまった人を物語ることで問題を先送りしているようにおれは思う。

でもスキップとローファーの場合は氏家くんのような主人公よりも「持っていない」人を出すことで主人公が確かに「持っている側」であることを認めつつもそれでは満たされないことを語っているのがすごいと思う。
それも陰気なロン毛メガネというおたくのステレオタイプとして描かれがちなキャラクターデザインで。

もちろんそんなキャラクターを登場させることができるのは主人公である美津未ちゃんと志摩くんたちが愛すべき人物で、今後を見届けたくなっているからなのだが。