真面目に訊かなくてええか?の気持ち

決着がつくほうが珍しい なぜなら生きている限り物語が続くので

若者かと言われると首を傾げてしまう年齢になるまで物語を読み続け、物語の進行をまずは類型として分類するようになってしまったからか1つのコンテンツに対する集中を欠いてきている。

完結した物語の続編が決定したとき、映画の序盤があまりおもしろくなかったとき、連載、運営、制作、放映を続けるための設定が新たに出てきたときに

「そういうパターンならもう真面目に訊かなくてええか?」

という発想が頭をもたげるようになってきた。

昔だったら律儀にすべて付き合おうとしていたのだろうが、今では手の届く範囲というか新たに追おうという気持ちが小さくなってきた。

現代のフルタイムで働く人々にとって物語は多すぎる。 TwitterのおすすめにはXがYした話(n/m)という漫画を載せたツイートがプロ・アマ関係なしに無限に流れてくるし、新作ゲームの発表で重厚なシナリオという謳い文句は珍しくなくなってきたし、各種配信サービスには様々な時代のドラマが展開されている。

自分が何かを作っても出来の如何以前に見つけられるほうが難しい。 それでも湧き上がるものを作り続けている人はすごいなあと思う。