友人の時間の捉え方が面白い。

友人の、時間という概念の捉え方が面白いので書いてみようと思う。

彼曰く、

親殺しのパラドックスなどといったタイムパラドックスが起こるのは時間の捉え方が間違っているからであって、

時間というものは定量的なもので向きが無い、つまり流れているものではないらしい。

そして、僕らが「6時」や「1月1日」というように呼ぶ時間は便宜上の区切りの一部分であり、

「時間」というものは実態として存在しない。

事象の連続が僕らが呼ぶ時間というものである。

しかしながら「時間」は存在しないのだが「期間」は存在する。それは階段を降り初めてから降りるまで、といったように絶対的に表せるものではないらしい。

正直自分でもまだよく分かっていないのでもうちょっと聞いてみようと思う。